フォトスタイリスト&アイシングクッキー講師の廣高としこです。
世界文化遺産勧告を受けた長崎・軍艦島。
今回はその軍艦島についてご紹介します。
海に浮かぶ姿は まさに巨大な戦艦。
その島を人びとは「軍艦島」と名付けました。
この度「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつとして
世界文化遺産勧告を受けました。
夕陽と軍艦島

島の正式名称は「三菱石炭鉱業株式会社 高島鉱業所端島鉱」
端島炭坑は三菱財閥の2代目岩崎弥之助によって
1890年から本格的な採掘が始められました。
海底深くから産出されていた石炭は高品位なもので
この石炭は八幡製鉄所などに運ばれ、鉄製作の原料炭となりました。
この鉄はさらに工業製品を制作する素材となり
日本の近代化に大きな貢献をもたらすこととなりました。
世界遺産勧告後、軍艦島を訪れる人が増えてきました。
軍艦島へ渡るには軍艦島上陸ツアーに参加するのがおすすめです。
今回は軍艦島上陸ツアーに参加してきた様子を
ご紹介いたします。

クルーズ船は長崎港を出発後
約30分で軍艦島に到着します。


まずは第1見学広場
従業員・技術者の住宅、貯炭場や第2堅坑跡などがあります。

第2見学広場。
中央のレンガ造りの建物が軍艦島鉱山の中枢、総合事務所です。


白い灯台が目立ち「他の建物に比べると新しいな」と思っていましたら
閉山後建てられた物でした。
閉山前は灯台はなかった、灯台はいらなかったということで
驚きました。

島全体が不夜城。
24時間明るかったので、島全体が灯台の役目をしていたそうです。
第3見学広場。
大正5年(1916年)に建てられた
日本初の鉄筋コンクリート造りの高層アパートです。
この30号アパートは「グラバーハウス」ともよばれ
鉱員の社宅としても使われていました。

巨大都市だった軍艦島。
1959年(昭和34年)には総人口5367人となり
世界最大の人口密度となりました。
島内には小中学校などの教育施設、映画館やビリヤード場、
パチンコ店、プールなどの娯楽施設もあり、
都市機能を有していました。



軍艦島は1890年(明治23年)に海底炭坑として開発され
1960年(昭和35年)に最盛期を迎えました。
1974年(昭和49年)に閉山となって島民は島を離れ、
廃墟となっていきました。
安全上、島全体を回ることはできず
観光として見学できる部分は限られています。
海からしか見ることのできない建物もあり、貴重なものでした。

廃墟となった建物の数々。
タイムカプセルで移動してきたような気分になりました。
日本の近代化を支え、
ここで暮らしていた人々の歴史を感じるツアーでした。
レポ&撮影
フォトスタイリスト&アイシングクッキー講師
廣高としこ
長崎福岡フォト&アイシングクッキーの教室・スタジオアマービレ
Studio Amabile(スタジオ・アマービレ)
世界文化遺産勧告を受けた長崎・軍艦島。
今回はその軍艦島についてご紹介します。
海に浮かぶ姿は まさに巨大な戦艦。
その島を人びとは「軍艦島」と名付けました。
この度「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつとして
世界文化遺産勧告を受けました。
夕陽と軍艦島

島の正式名称は「三菱石炭鉱業株式会社 高島鉱業所端島鉱」
端島炭坑は三菱財閥の2代目岩崎弥之助によって
1890年から本格的な採掘が始められました。
海底深くから産出されていた石炭は高品位なもので
この石炭は八幡製鉄所などに運ばれ、鉄製作の原料炭となりました。
この鉄はさらに工業製品を制作する素材となり
日本の近代化に大きな貢献をもたらすこととなりました。

世界遺産勧告後、軍艦島を訪れる人が増えてきました。
軍艦島へ渡るには軍艦島上陸ツアーに参加するのがおすすめです。
今回は軍艦島上陸ツアーに参加してきた様子を
ご紹介いたします。

クルーズ船は長崎港を出発後
約30分で軍艦島に到着します。

ドルフィン桟橋に到着。
いよいよ上陸です

まずは第1見学広場
従業員・技術者の住宅、貯炭場や第2堅坑跡などがあります。

第2見学広場。
中央のレンガ造りの建物が軍艦島鉱山の中枢、総合事務所です。


白い灯台が目立ち「他の建物に比べると新しいな」と思っていましたら
閉山後建てられた物でした。
閉山前は灯台はなかった、灯台はいらなかったということで
驚きました。

島全体が不夜城。
24時間明るかったので、島全体が灯台の役目をしていたそうです。
第3見学広場。
大正5年(1916年)に建てられた
日本初の鉄筋コンクリート造りの高層アパートです。
この30号アパートは「グラバーハウス」ともよばれ
鉱員の社宅としても使われていました。

巨大都市だった軍艦島。
1959年(昭和34年)には総人口5367人となり
世界最大の人口密度となりました。
島内には小中学校などの教育施設、映画館やビリヤード場、
パチンコ店、プールなどの娯楽施設もあり、
都市機能を有していました。

大勢の島民が楽しんだという大きなプールの跡

サビだらけの機械

貯炭場のベルトコンベアの四角い支柱が並んでいます。
軍艦島は1890年(明治23年)に海底炭坑として開発され
1960年(昭和35年)に最盛期を迎えました。
1974年(昭和49年)に閉山となって島民は島を離れ、
廃墟となっていきました。
安全上、島全体を回ることはできず
観光として見学できる部分は限られています。
海からしか見ることのできない建物もあり、貴重なものでした。


廃墟となった建物の数々。
タイムカプセルで移動してきたような気分になりました。
日本の近代化を支え、
ここで暮らしていた人々の歴史を感じるツアーでした。
レポ&撮影
フォトスタイリスト&アイシングクッキー講師
廣高としこ
長崎福岡フォト&アイシングクッキーの教室・スタジオアマービレ
Studio Amabile(スタジオ・アマービレ)