フォトスタイリスト&アイシングクッキー講師の
廣高としこです。
長崎の明治日本の産業革命遺産が、
世界文化遺産に登録されることが決定しました!
今回は、その施設を一挙にご紹介します。
日本の近代化の元・原点がここに!
今回登録決定した長崎の明治日本の産業革命遺産は、8施設です.
【1】旧グラバー住宅
【2】端島炭坑(はしまたんこう)・軍艦島
【3】小菅修船場跡(こすげしゅうせんばあと)
【4】高島炭鉱・北渓井坑跡(ほっけいせいこうあと)
【5】ジャイアント・カンチレバー・クレーン/三菱長崎造船所
【6】旧木型場(きゅうきがたば)/三菱長崎造船所
【7】占勝閣(せんしょうかく)/三菱長崎造船所
【8】第三船渠(だいさんせんきょ)
それでは施設を順にご紹介していきましょう。
【1】旧グラバー住宅
長崎の観光地として親しまれている
「グラバー園」内に在るグラバーの居住地「グラバー邸」。
トーマス・ブレーク・グラバー(スコットランド出身)は
1859(安政6)年、長崎開港と同時に長崎に来日。
グラバー商会を設立し、
日本の近代文明の進展に尽力することとなりました。
【2】端島炭坑(はしまたんこう)軍艦島
島内林立している高層アパート群。
その姿は「まるで軍艦のよう」と「軍艦島」として
知られるようになりました。
1870(明治3)年石炭の採掘が始められました。
端島で採掘される石炭は良質であったので
八幡製鉄所で製鉄用原料炭として使われていました。
【3】小菅修船場跡(こすげしゅうせんばあと)
船の修理場として活躍した小菅修船場。
幕末1866(慶応2)年、
薩摩藩士やトーマス・グラバー達により修船場を造る計画がスタート。
1869(明治元年12月)に落成しました。
満潮期に滑り台に船を乗せて、曳揚げていきます。
この台(船架)がソロバン状に見えることから
“そろばんドック”とも呼ばれるようになりました。
【4】高島炭鉱・北渓井坑跡(ほっけいせいこうあと)
日本最初の蒸気機関による
竪抗(たてこう・地表から掘り下げられた抗道)跡。
江戸時代中期(1704~1710年)採炭事業がスタート。
日本の開港により外国の蒸気船の燃料として石炭の供給が高まり
長崎が石炭補給拠点として役割を担うこととなりました。
1868年グラバー商会は
日本最初の蒸気機関による竪抗(たてこう)を高島に開抗。
深さ43mで着炭。「北渓井抗ほっけいせいこう」と命名。
港町長崎港、西洋への窓口
鎖国時代には出島を通して西洋の情報が入る唯一の場所でした。
明治中期、開港とともにトーマス・グラバーが長崎に来日。
イギリスの技術を日本にもたらし、
当時近代化を目指す武士たちにとっても
長崎は最新の技術を学べる重要な場所となりました。
世界文化遺産登録決定を受け
改めて長崎の歴史の深さを感じました。
今後もこの貴重な施設と歴史を、大切にしていきたいと思います。
【5】~【8】三菱長崎造船所関連施設は、次回ご紹介します。
レポ&撮影
フォトスタイリスト&アイシングクッキー講師
廣高としこ
長崎福岡フォト&アイシングクッキーの教室・スタジオアマービレ
Studio Amabile(スタジオ・アマービレ)
廣高としこです。
長崎の明治日本の産業革命遺産が、
世界文化遺産に登録されることが決定しました!
今回は、その施設を一挙にご紹介します。
日本の近代化の元・原点がここに!
今回登録決定した長崎の明治日本の産業革命遺産は、8施設です.
【1】旧グラバー住宅
【2】端島炭坑(はしまたんこう)・軍艦島
【3】小菅修船場跡(こすげしゅうせんばあと)
【4】高島炭鉱・北渓井坑跡(ほっけいせいこうあと)
【5】ジャイアント・カンチレバー・クレーン/三菱長崎造船所
【6】旧木型場(きゅうきがたば)/三菱長崎造船所
【7】占勝閣(せんしょうかく)/三菱長崎造船所
【8】第三船渠(だいさんせんきょ)
それでは施設を順にご紹介していきましょう。
【1】旧グラバー住宅
長崎の観光地として親しまれている
「グラバー園」内に在るグラバーの居住地「グラバー邸」。
トーマス・ブレーク・グラバー(スコットランド出身)は
1859(安政6)年、長崎開港と同時に長崎に来日。
グラバー商会を設立し、
日本の近代文明の進展に尽力することとなりました。
【2】端島炭坑(はしまたんこう)軍艦島
島内林立している高層アパート群。
その姿は「まるで軍艦のよう」と「軍艦島」として
知られるようになりました。
1870(明治3)年石炭の採掘が始められました。
端島で採掘される石炭は良質であったので
八幡製鉄所で製鉄用原料炭として使われていました。
【3】小菅修船場跡(こすげしゅうせんばあと)
船の修理場として活躍した小菅修船場。
幕末1866(慶応2)年、
薩摩藩士やトーマス・グラバー達により修船場を造る計画がスタート。
1869(明治元年12月)に落成しました。
満潮期に滑り台に船を乗せて、曳揚げていきます。
この台(船架)がソロバン状に見えることから
“そろばんドック”とも呼ばれるようになりました。
【4】高島炭鉱・北渓井坑跡(ほっけいせいこうあと)
日本最初の蒸気機関による
竪抗(たてこう・地表から掘り下げられた抗道)跡。
江戸時代中期(1704~1710年)採炭事業がスタート。
日本の開港により外国の蒸気船の燃料として石炭の供給が高まり
長崎が石炭補給拠点として役割を担うこととなりました。
1868年グラバー商会は
日本最初の蒸気機関による竪抗(たてこう)を高島に開抗。
深さ43mで着炭。「北渓井抗ほっけいせいこう」と命名。
港町長崎港、西洋への窓口
鎖国時代には出島を通して西洋の情報が入る唯一の場所でした。
明治中期、開港とともにトーマス・グラバーが長崎に来日。
イギリスの技術を日本にもたらし、
当時近代化を目指す武士たちにとっても
長崎は最新の技術を学べる重要な場所となりました。
世界文化遺産登録決定を受け
改めて長崎の歴史の深さを感じました。
今後もこの貴重な施設と歴史を、大切にしていきたいと思います。
【5】~【8】三菱長崎造船所関連施設は、次回ご紹介します。
レポ&撮影
フォトスタイリスト&アイシングクッキー講師
廣高としこ
長崎福岡フォト&アイシングクッキーの教室・スタジオアマービレ
Studio Amabile(スタジオ・アマービレ)